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山の麓(ふもと)の大和国 ヤマトの歴史 [歴史]

建国記念の日にあたり、
神武天皇ヤマト朝廷を作ったことは確認しました。

今回はその本拠地大和国についてレポートします。

大和国五畿内の1国で
現在の奈良県になります。

国府は今の大和郡山市に置かれ,
国分寺東大寺
別称「和州」。

大和政権のおこったところで,
平安遷都まで,国内のどこかに
皇居がいとなまれることが多かったようです。

「ヤマト」について教えてください

やまと」の語源は諸説ありますが、
その中に「山のふもと」という説があります。

邪馬台国」における「邪馬台」は"yamato"
(山のふもと)であり、
古代の「大和」と一致します。

古墳時代頃に漢字文化が流入すると、
やまと」の語に対して
」の字が当てられるようになりました。

中国では古くより日本列島の人々・政治勢力を総称して
」と呼んでいましたが、古墳時代に
やまと」と称したこは、
やまと」の勢力が日本列島を代表する
政治勢力となっていたことの現れとされます。

紀元前後頃から7世紀末頃に国号を
日本」に変更するまで、
日本列島の政治勢力も
もしくは倭国(わこく)と自称しました。

律令国名に使用される「ヤマト」とは、
元々は「(やまと)
大倭(おおやまと/やまと)
等と表記して奈良盆地東縁の
一地域を指す地名でした。
(狭義のヤマト)

その後、ヤマト王権が奈良盆地一帯や
河内方面までを支配するようになると、
その地域(後の近畿・畿内)もまた
大和と呼ばれるようになりました。

さらには、同王権の支配・制圧が日本列島の大半
(東北地方南部から九州南部まで)
にまで及ぶに至り、それらを総称して
大和と呼ばれるようになりました。

律令国である大和国について教えて下さい

そして、ヤマト王権の本拠が所在した
奈良盆地周辺を範囲とする律令国大和国
律令制定の際に表記を
大倭国(やまとのくに)
として成立したとされています。

初めは「(やまと)」と書きましたが、
元明天皇の治世(710年頃)に
国名を好字二字で用いることが定められ、
と同音の好字である「」の字に
「大」を冠して「大和」と表記し
やまと」と訓ずるように取り決められました。

そして757年(天平宝字元年)
橘奈良麻呂の乱直後に
大倭国」から「大和国」へ
変更が行われたと考えられています。

平安時代以降も東大寺興福寺
春日大社など大寺社の勢が強く,
荘園が多くありました。

江戸時代には幕府が奈良奉行をおいて
直接支配したほか,7藩がおかれました。



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