NHKのど自慢 鳥取県三朝(みささ)町から(9月11日) [エンタメ]
鳥取県中部の山あいにある人口7千人の町で
自慢はなんといっても平安時代から続く三朝温泉です。
お湯につかると3つ目の朝で病が癒えるとされていて、
町名の由来ともされています。
無料でお湯が飲めるし、橋のたもとには、
町営の露天風呂があります。
地元の神社(三朝神社)では、手をお清めするのが
温泉のお湯です。
人気の名勝は三徳山投入(なげいれ)堂(国宝)です。
日本一危ない国宝と言われており
山岳信仰の象徴として立てられたお堂です。
三徳山で修行して、最後に到達するのがこのお堂です。
今日の20曲
①NINJIN娘(田原俊彦)
②テルーの唄(手嶌葵)
③ひまわりの約束(秦基博)
④はじまりのとき(絢香)
⑤噂の女(内山田洋とクール・ファイブ)
⑥ルイジアナ・ママ(飯田久彦)
⑦恋酒(森山愛子)
⑧明日も(MUSH&Co.)
⑨港町十三番地(美空ひばり)
10 縁(えにし)(島津亜矢)
11 願い(RYTHEM)
12 聖母たちのララバイ(岩崎宏美)
13 Hey! みんな元気かい?
14 for you…(高橋真梨子)
15 長崎は今日も雨だった(内山田洋とクール・ファイブ)
16 木綿のハンカチーフ(太田裕美)
17 函館の人(北島三郎)
18 ROSE(秋元順子)
19 道化師のソネット(さだまさし)
20 愛をこめて花束を(Superfly)
今日のゲスト
待ったなしだよ人生は(森山愛子)
倖の約束ー男のありがとうー(前川清)
三朝神社について教えてください
三朝神社の創建は大正10年(1921)、
近隣3地区の鎮守である湯村神社、外谷神社、砂原神社
が合併したのが始まりとされ、村社に列し
大正13年(1924)に神饌幣帛料供進社に指定されています。
湯村神社(祭神:大己貴命)は三朝地区の氏神で三朝温泉を発見した
大久保左馬之祐が崇敬庇護した事から大久保大明神と呼ばれ、
明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され
湯村神社に社号を改めています。
外谷神社(祭神:素盞鳴尊)は外谷地区の氏神で
当時は牛頭天王と称していましたが
神仏分離令により一時排社となり明治10年(1877)に
湯村神社の境内社として復しました。
砂原神社は(祭神:誉田別尊・武内宿禰命・大山祇命)は
砂原地区の氏神で当初は妙美井山の山頂付近に鎮座し
妙見山正八幡宮と称していましたが
宝永2年(1705)に字宮ノ上に遷座し周辺三郡(河村、久米、八橋)
の住民から崇敬の対象になっていました。
手水鉢にはラジウム温泉を引き込み、
ムクノキ(樹高28m、太さ0.62m、樹冠24m×20m、推定樹齢500年)や
タブノキ(樹高25m、太さ0.34m、樹冠18m×12m、推定樹齢300年)や
などで構成される社叢が昭和63年(1988)に「三朝の名木」に指定されています。
祭神:誉田別尊、大己貴命、素盞鳴尊、武内宿禰命、大山祇命。
例祭:10月17日。
三徳山投入(なげいれ)堂 について教えてください
役行者(えんのおづの)が投げた蓮の花びらの1枚は
神仏にゆかりのあるところに舞い落ちました。
三徳山がこの一つです。
役行者が三徳山を訪れた時、その山のふもとでお堂をつくりました。
役行者は法力でお堂を手のひらに乗るほどに小さくし、
大きな掛け声と共に断崖絶壁にある岩窟に投入れたと言われています。
このことから「投入堂」と呼ばれるようになりました。
役行者とはどのような人ですか
7~8世紀に奈良を中心に活動していたと思われる
修験道の開祖とされている人物です。
「役小角(えんのおづの)」がその本名である と言われています。
もっと も、役行者が、7~8世紀に実在したことは確かなようですが、
生没年など詳しいことは不明です。
伝説のなかで、役行者は、不思議な力を駆使して
空や野山を駆けめぐり、鬼神を自在にあやつった人とされています。
役行者とは、数々の不可思議な事績を残した偉大な修行者、
修験道の開祖として崇められてきた存在です。
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自慢はなんといっても平安時代から続く三朝温泉です。
お湯につかると3つ目の朝で病が癒えるとされていて、
町名の由来ともされています。
無料でお湯が飲めるし、橋のたもとには、
町営の露天風呂があります。
地元の神社(三朝神社)では、手をお清めするのが
温泉のお湯です。
人気の名勝は三徳山投入(なげいれ)堂(国宝)です。
日本一危ない国宝と言われており
山岳信仰の象徴として立てられたお堂です。
三徳山で修行して、最後に到達するのがこのお堂です。
今日の20曲
①NINJIN娘(田原俊彦)
②テルーの唄(手嶌葵)
③ひまわりの約束(秦基博)
④はじまりのとき(絢香)
⑤噂の女(内山田洋とクール・ファイブ)
⑥ルイジアナ・ママ(飯田久彦)
⑦恋酒(森山愛子)
⑧明日も(MUSH&Co.)
⑨港町十三番地(美空ひばり)
10 縁(えにし)(島津亜矢)
11 願い(RYTHEM)
12 聖母たちのララバイ(岩崎宏美)
13 Hey! みんな元気かい?
14 for you…(高橋真梨子)
15 長崎は今日も雨だった(内山田洋とクール・ファイブ)
16 木綿のハンカチーフ(太田裕美)
17 函館の人(北島三郎)
18 ROSE(秋元順子)
19 道化師のソネット(さだまさし)
20 愛をこめて花束を(Superfly)
今日のゲスト
待ったなしだよ人生は(森山愛子)
倖の約束ー男のありがとうー(前川清)
三朝神社について教えてください
三朝神社の創建は大正10年(1921)、
近隣3地区の鎮守である湯村神社、外谷神社、砂原神社
が合併したのが始まりとされ、村社に列し
大正13年(1924)に神饌幣帛料供進社に指定されています。
湯村神社(祭神:大己貴命)は三朝地区の氏神で三朝温泉を発見した
大久保左馬之祐が崇敬庇護した事から大久保大明神と呼ばれ、
明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され
湯村神社に社号を改めています。
外谷神社(祭神:素盞鳴尊)は外谷地区の氏神で
当時は牛頭天王と称していましたが
神仏分離令により一時排社となり明治10年(1877)に
湯村神社の境内社として復しました。
砂原神社は(祭神:誉田別尊・武内宿禰命・大山祇命)は
砂原地区の氏神で当初は妙美井山の山頂付近に鎮座し
妙見山正八幡宮と称していましたが
宝永2年(1705)に字宮ノ上に遷座し周辺三郡(河村、久米、八橋)
の住民から崇敬の対象になっていました。
手水鉢にはラジウム温泉を引き込み、
ムクノキ(樹高28m、太さ0.62m、樹冠24m×20m、推定樹齢500年)や
タブノキ(樹高25m、太さ0.34m、樹冠18m×12m、推定樹齢300年)や
などで構成される社叢が昭和63年(1988)に「三朝の名木」に指定されています。
祭神:誉田別尊、大己貴命、素盞鳴尊、武内宿禰命、大山祇命。
例祭:10月17日。
三徳山投入(なげいれ)堂 について教えてください
役行者(えんのおづの)が投げた蓮の花びらの1枚は
神仏にゆかりのあるところに舞い落ちました。
三徳山がこの一つです。
役行者が三徳山を訪れた時、その山のふもとでお堂をつくりました。
役行者は法力でお堂を手のひらに乗るほどに小さくし、
大きな掛け声と共に断崖絶壁にある岩窟に投入れたと言われています。
このことから「投入堂」と呼ばれるようになりました。
役行者とはどのような人ですか
7~8世紀に奈良を中心に活動していたと思われる
修験道の開祖とされている人物です。
「役小角(えんのおづの)」がその本名である と言われています。
もっと も、役行者が、7~8世紀に実在したことは確かなようですが、
生没年など詳しいことは不明です。
伝説のなかで、役行者は、不思議な力を駆使して
空や野山を駆けめぐり、鬼神を自在にあやつった人とされています。
役行者とは、数々の不可思議な事績を残した偉大な修行者、
修験道の開祖として崇められてきた存在です。
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