京都・石清水八幡宮で七夕ウオークラリー(Part3) [観光]
前回の記事の続きです。
⇒「京都・石清水八幡宮で七夕ウオークラリー(Part1)」の記事へ
石清水八幡宮について教えてください平安時代前期に八幡宮総本社の宇佐神宮(大分県宇佐市)から
勧請(かんじょう:神仏の分霊を他の場所に移しまつること)された
神社で、京都盆地南西の男山山上に鎮座します。
貞観元年(859年)に南都大安寺の僧行教(空海の弟子)が豊前国、
宇佐神宮にて受けた「われ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」
との神託により、翌貞観2年(860年)清和天皇が社殿を造営したのが
創建とされています。
皇室からは、中世以降に遠国の勧進元である宇佐神宮に代わり伊勢神宮
とともに二所宗廟(皇室が先祖に対して祭祀を行う二つの廟の1つ)の1つ
として崇敬されるとともに、京都の裏鬼門(南西)を守護する神社の
代表格として鬼門(北東)の延暦寺とともに重要視されました。
「石清水」の社名は、男山に既に鎮座していた石清水山寺(現・摂社石清水社)
からとも、男山の中腹から湧き出ている"石清水"からともされます。
また、源氏が武神として信仰したため清和源氏の足利氏・徳川氏・今川氏・
武田氏などの源氏諸氏族から氏神として崇敬され、武神・弓矢の神・必勝の神と
されました。
これら源氏によって、石清水八幡宮の分霊は源頼義による壺井八幡宮や
源頼義・頼朝による鎌倉の鶴岡八幡宮など、数多くの八幡宮に勧請されました。
国宝の本社10棟の建造物などをはじめ、多くの重要文化財が存在しています。
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